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2015年7月

2015年7月22日 (水)

神の作品

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ゴーヤの花です。若干生育が遅れ気味
どうもプランターの土が少なかったようで
最近大きなプランターへ植え替えました。


台風の影響で、長雨が続いていますが、子どもたちは
夏休みに入りましたね。

夏休みといえば、宿題がつきものです。

小学生時代、6年間、8月31日は憂鬱な一日でした。
この日、創作活動の苦手な私は、最後に残しておいた(笑)
工作をする日でした。
毎年、超テキトーな作品を作っていました。

例えば、空き瓶を紙粘土で巻いて色を塗って“花瓶”とか
これまた紙粘土で器を作って色を塗って“灰皿”とか

父親は苦笑いをしながら『もったいなすぎて使えん』と
つぶやいていました。
燃える灰皿なんぞ、本当に何も考えずに作っている証拠・・・

聖書には、私たち人間は「神の作品」だとはっきり書かれています。

「作品」と呼ばれるものは、本来、私の宿題のようにテキトーに
作られるものではなく、作者が自分が表現したいことを
素材や道具や作る環境などを細心の注意を払いながら
丁寧に造り上げていくものです。

そして、「作品」は唯一無二、二つと同じものがない一点ものです。

『私は神の作品だ』という事実をしっかりと受け取るなら
今までとは違った世界観が広がりませんか。

「神の作品」なのだから、私たちは価値ある者です。
価値のない人は誰もいません。

この地球上の人々全員が神の作品です。
命を与え、命を取る権限は神にだけあります。
私たちに人の命を奪う権限は与えられていません。

一人一人がユニークな存在です。
誰かと比べるのは全く意味のないことです。

私は神の作品だから、私自身を大切にします。

生きる目的は、私を造った神がご存知です。
私の人生は、私を造った作者である神が握っています。

私自身、私を造った神様に出会った時から
『私は何のために生まれてきたんだろうか』
という漠然とした虚しさは消えました。

意味のない疑問だったからです。

是非、「私は神の作品」だ、ということを思い巡らせてみてください。
真の神様に出会われることをお祈りしています。

「私たちは神の作品であって、良い行いをするために
キリスト・イエスにあって造られたのです。
神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをも
あらかじめ備えてくださったのです。」
           ―エペソ人への手紙2章10節 聖書





2015年7月 1日 (水)

He was beautiful

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すごい!出てきた!!ソテツの新芽
引っこ抜かれて一年ほど裏庭に放置されてたのを、
試しにもう一度植えてみたら新芽が出てきた


最近、懐かしい曲を耳にし、何の曲やったっけ?
しばし、思い巡らせて...思い出した!

映画「ディアーハンター」のテーマ曲でした。

「cavatina-カヴァティーナ」
歌詞がついた曲名は「He was beautiful」

ベトナム戦争を題材にした、この映画の、
美しいこのテーマ曲が、ストーリーが語る痛みややるせなさを
際立たせています。

この映画は戦争について色んなことを語っているように思います。

主人公は、ロシア系移民の製鉄所で働く青年
ごく普通の青年、どちらかというと貧しい青年たち。

戦争の最前線に送られるのは、地位もお金もない
普通の青年たちです。

この映画のストーリーで重要な位置を占めるのが
ロシアンルーレットです。

ロシアンルーレットの場面は戦争の狂気の縮図のようでした。
人間を使ってする博打です。
プレーヤーがテーブルを挟んで対面します。
この二人を大勢の男たちが取り囲み
大金が賭けられます。
実弾が1発入ったピストルの銃口を
プレーヤーが自らのこめかみにあて引き金を引きます。
死んだ方が負け。

最前線で命をかけるのは力の弱い人たち。
それに加勢して、囃し立て大金を動かす権力者たち。

命を落とすもの、深く傷付くのも最前線に送られた者たち。

この映画の最後は、ベトナムで死んだ友人の葬式をした
後、戦争に行く前からの親しい友人たちが集まって
食事をするシーンです。

皆、何か言いたげだけれど、何も言葉が出ない。
必死で悲しみをこらえ乗り切ろうとしている姿が
せつなく、その中の一人が
「God bless America」を口ずさみはじめ、皆で歌うのです。

いわば、戦歌です。日本でいうところの
「同期の桜」とかになるでしょうか。

彼らの心境は、もちろん、
アメリカ万歳の気持ちではないことだけは確かです。

「何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。
あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。」
             ―ヤコブの手紙4章1節 聖書




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